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聴:
円海長者(えんかいちょうじゃ)の大赤牛
むかしむかし、味真野(あじまの)の里の文室(ふむろ)という所に、円海(えんかい)という長者がいました。
おしまい
聴:
円海長者(えんかいちょうじゃ)の大赤牛
むかしむかし、
おしまい
章3-第1
ある時、その長者が水無川(みずなしがわ)のほとりを歩いていると、川原に見た事もない大きな赤牛が寝ていました。
「これは、何と大きな牛じゃ」
と、感心していると、次の日も同じ牛がいるので、
「はて、飼い主はいないのだろうか?」
と、不思議に思いました。
そしてその次の日も、やっぱり牛は同じ所にねそべっています。
長者は立ち止まって、その牛をつくづくながめると、
「ははーん、きっと底なしの大食らいじゃから、捨てられたのだな。よいよい、わしが面倒をみてやろう」
と、言いました。
すると牛はむっくりと起きあがって、うれしそうに体をすり寄せてきたのです。
「おお、わしの言葉が分かるとは、感心じゃ」
喜んだ長者は、そのまま牛を家へ連れて帰りました。
さて、この牛は毎日、まぐさを山ほど食べては寝てばかりいたので、『なまくら牛』と呼ばれるようになりました。
その頃、都では、法皇が三十三間堂(さんじゅうさんげんどう)という大きなお堂を建てる事になって、その棟木(むなぎ)に使う大木を山から都まで運ぶのに国中の力持ちを集めていました。
ところがどんな力持ちが引いても、大木はびくともしないので、
「さて、どうしたものだろう?」
と、役人たちが困っていると、
「それなら、円海長者の大牛に引かせてみたらどうだろう?」
と、言う者がいました。
それでさっそく、円海長者の所へ使いが出されました。
話を聞いた円海長者は、
(さて、あのなまくら牛に、そんな大仕事が出来るだろうか?)
と、心配になりましたが、それでも大牛の鼻づらをなでながら言いました。
「お前の力を見せる時が来たぞ。せいいっぱい頑張って、働いて来ておくれ」
すると牛は、のっそりと小屋から出て庭石によだれで字のようなものを書くと、門の外で待つ役人のもとへ歩いていきました。
役人が力試しにと、三かかえもある大石を牛にくくりつけました。
すると牛は、平気で大石を引きずっていきます。
「おお、これはすごい!」
感心した役人たちは、さっそくその牛を長者ともども若狭(わかさ→福井県)の国へ連れていきました。
さていよいよ、大木を運ぶ日がやって来ました。
円海長者は、そわそわと落ちつきません。
たくさんの見物人が集まるなか、牛の体に大木をくくりつけた太いつなが何重にもまかれました。
ここまで来た以上、もう後戻りは許されません。
「よし、いいか。わしの気合いで一気に引けよ。わかったな。そーれっ!」
長者は大きなかけ声とともに、力一杯たずなを引っ張りました。
大牛は足をふんばって頭を下げると、グイ、グイ、グイーと、つなを引きました。
するとそのとたんに、ミシ、ミシ、ギギーと、大木が動き出したのです。
長者は、顔をまっ赤にして応援しました。
「そーれっ! そーれっ!」
そして見物人たちまでが、それに合わせてかけ声をおくりました。
そしてそのかけ声に合わせるように、ズズズーッと、大木は若狭の山を下り、都へと無事に引かれていったのです。
これを知った法皇さまはとても喜んで、円海の牛を、
「日本一の力牛じゃ!」
と、ほめたたえました。
それからそのほうびとして、たくさんの土地を飼い主である長者に与えたのです。
大牛がよだれで文字を書いた庭石は、『よだれ石』として、今でも文室(ふむろ)の正高寺(しょうこうじ)に残っているそうです。
ふりがな
ある
「これは、
と、
「はて、
と、
そしてその
「ははーん、きっと
と、
すると
「おお、わしの
さて、この
その
ところがどんな
「さて、どうしたものだろう?」
と、
「それなら、
と、
それでさっそく、
(さて、あのなまくら
と、
「お
すると
すると
「おお、これはすごい!」
さていよいよ、
たくさんの
ここまで
「よし、いいか。わしの
するとそのとたんに、ミシ、ミシ、ギギーと、
「そーれっ! そーれっ!」
そして
そしてそのかけ
これを
「
と、ほめたたえました。
それからそのほうびとして、たくさんの